2016年06月24日
の会話は仲間

江戸期の画僧に「仙崖禅師」がいる。87歳で没しているが粋で味わい深い語録が残る。作品の一編に『老人六歌仙』があり加齢と共に誰もが通過する晩年が面白く綴られている。平成の現代にあってもその侭通用しそうな洒落た筆だと思う。浮世に厄介になってる間は周囲に嫌われぬ様注意を払い、心して与えられた時間を過ごしたいものである。
哀しいと思うか寂しいと思うか??或は悔しいと捉えるか、馬鹿野郎と言いたくなるか??各人の感性で捉えられたい。歌の文句ではないが、あの坂を越え、此の坂を越え??やっと頂上が目に入ったか?と思って深呼吸をしたらもう其処は人生の日暮れ坂だ。『死ぬ日も元気で???』書き換えようと思っている私の座右の銘である。商いという名を借りて骨董道楽を楽しむ私??と言うと聞こえはいいが趣味は決して商売に馴染まない。
つまり楽しみを貪っていたのでは弼口を凌げない苦しさがある。「利と損」を「盾と矛」に変換させながら残る余情(命)を使い果たしたいと願っている。房総半島の田舎町に暮らす私だが店先では馴染み客との骨董談義や政治家たちの棚卸??その日の出来事が話題の中心である。駐車場は広いのに車のバンパーやコーナーを建物や花の植え込みに擦り付けるように駐める人??白線を無視し斜に駐める人も居る。しかし夫々が自分の足で遠路を運んで来てくれる爺さん達だ。感謝を忘れてはいけないところではある。同輩や兄弟分たちの登場に多くの言葉は要らない。
私の挨拶は「こんにちは???」という一言で用が足りる。長年田畑をやってきた農家の爺さん、元漁師、現役を離れた大工さんや建築帳場の経験者??元、ばかりで現、は殆ど居ない。家族に対する愚痴を聞かされる日??政府や政治への不満、憤りを聞く日??美術骨董品で熱く語るとき以外、いつも同じ台詞の遣り取りをしている様に思う。老化現象の説明と健康食品についての詮議??通院する掛り付け医の比較??酒と女の昔話??明けても暮れても中味の無い雑談に終始する毎日である。
私は各位の愚痴を聴き留め、慰めにも似た言葉の投薬で自然治癒を促す田園のドクター???時々クランケ??という位置に居る。後期高齢者??シニアはお互い様だが、来店で同志がお互いの傷口を舐め合う大切な時間であり爺さんたちの子守唄でもあるのだ。「当選券付き証票法に基づく富籤」と聴いても理解し難いが『ジャンボ宝くじ』と言えば誰方にも頷いて頂けるだろう。とかく法律用語というのは庶民にとって難しい。現在は総務省が所管する(財)宝くじ協会が取り仕切ってスーパーやコンビニでも窓口業務が可能になったという。
Posted by フライングフェアリー at 12:48
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